今日は日暮里に行った。
制作のアイディアが浮かばない時は、よく日暮里をうろつき歩いている。
今日もいつものように布を見て、資材を見て、ボタンを見るルート。
このボタン屋には、いつか絶対使ってやろうと思っている震えるほどかわいいボタンがある。
今日はなんとなくボタン屋の奥まで進んでみたら、バックルが置いてあるのに気づいた。ボタンゾーンしか見てなかったから知らなかったのだ。
バックルは、ベルトをつける時の留め具だ。ちょうどウエストがゆるいデニムを履いていたので、バックル買ってベルト作ろうかなーなんて、昼はそうめんにしようかなーみたいな軽い気持ちで見ていた。
かわいいなーとデニムに当ててみたり、遠くから見たり近くから見たり。お気に入りのやつを見つけてしばらく見ていた。
すると、先ほどまで外国人のお客さんと流暢な英語でやりとりしていた店のおじさんがこちらにきて「それは60年前のドイツのやつだよ。」と言った。
ほぅ。60年前のドイツ。ということは1960年のドイツだ。その頃ドイツで何があったかは疎くてわからないが、なんて買いたくなる付加価値なんだろう。
いい!!歴史はロマンだ。このバックルが1960年代にドイツのどこかの誰かに作られたのだ。おしゃれな人の珠玉の作品なのか、大量生産で「もうこの形見るのやだ〜」と言われながら労働者に作られたものなのはわからない。
でも1960年代に作られて、どういうわけかはるばる日本に来たのだ。この英語堪能なおじさんが買い付けに行ってたのか、どこかのリサイクルストアから仕入れているのか全くわからない。全くわからないからこんなにも想像の余地がある。
いや、もしかしたら、このおじさんが最近作ってドイツのシールを貼り60年前のものとして売り出しているのかもしれない。そんな詐欺まがいなことをしなければ行けない理由はなんだろう。どういう経緯だろう。
それならそれで、おじさんの歴史に興味がある。
おじさんよ、私は買うよ。あなたの勝ちだ。
私はバックルではなく、歴史を買った。ドイツ生まれのバックルの歴史かもしれないし、おじさんの歴史かもしれない。
これが全部私の妄想だったら、この想像体験を買おう。
ちなみにこれ
なんにせよ「60年前のドイツ」という響きと言葉のパフォーマンスがいい。なんかスッと入ってきて腑に落ちる。アメリカでもフランスでもなく60年前のドイツ、ピタリ賞。
今、「タイムマシンが使えるとしたら?」という質問を投げられたら「60年前のドイツ」と答える。
いつもなら漠然と「生まれた時かな〜」と言うが、今なら目を見て心から「60年前のドイツ」と言える。そしてこのバックルを作った人を探そう。そうしよう。
うん、そうしよう。
家に帰って気づいた。
まだなんのアイディアも浮かんでない。
途中から「60年前のドイツ」で頭がいっぱいだったのだ。
タイムマシンがあったら、フツーにお盆の初日に戻して欲しいなと思う。