記憶をなくしたおばあちゃんの秘密を辿った話

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昨年の夏、実家に住む姉からLINEが来た。
「おばあちゃんが大変なことになってる。」
どうやらおばあちゃんの記憶が無くなったらしい。

幸い家族の顔はわかるのだが、その他ほとんどの記憶をなくしてしまったのだ。


大変な騒ぎだと思い、私はお盆をすべて使って帰省した。

2歳上の姉が新幹線の駅まで迎えに来てくれて、そのまま車で30分のおばあちゃんとおじいちゃんの家に向かった。

 

1年ぶりに会うおばあちゃんはひとまわり小さくなって、目もしょぼくれていた。

おじいちゃんは私たちに麦茶を出すと、トマトを採りに畑に出ていった。おじいちゃんのトマトはめちゃくちゃ美味しい。昨年も塩をかけて食べたのを思い出した。

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おばあちゃんは、姉のことも私のことも覚えていた。

時々2人の名前を間違えるけど、それはずっと前からいつもそうだ。


ご飯を作る手伝いをしながら、おばあちゃんと話した。東京で頑張ってる、田舎はやっぱり落ち着く、涼しいし水もおいしい、いつもそんな話を繰り返す。


記憶のことを聞くのは可哀想な気がして触れないでいたのだが、おばあちゃんは冷蔵庫から味噌を出しながら言った。
「なんにも分からんようになってね。大事なことが、思い出せんのよ。」

おどおどしたような、勇気を出したような声だった。

「なんだろね?思い出す手伝いするよ?」

姉は月に2度、おばあちゃんに会いに来ているが、初耳だという顔をしながら言った。

 

「なんだったかね。ずっと隠してたんだと思うんだけん、ほんとに忘れちゃったね。」

「じゃあ、もしわかっても、おばあちゃんとお姉ちゃんと3人の秘密にするよ。ほかの誰にも言わない。」

 

あまりに困った様子だったのと、記憶が戻る手掛かりになるかもしれないと思い、姉と2人で"大事なこと"を辿ろうと決めたのだ。

何か手掛かりはないかと聞くと、うーんと少し黙ってから、台所の窓から空を見上げて「池だったかね。」と呟いた。

 

ここから最寄りの池と言えば「月不見の池」だ。

月不見の池は、おばあちゃんの家から車で10分ほど坂を下りた所にある池で、「つきみずの池」と読む。
帰り道に寄ってみるとお盆なのに誰もいなかった。帰省客も来ない鬱蒼とした池なのだ。
緑色に濁っている池、その周りを囲む岩には雑草や苔が生い茂っている。
高い木々に囲まれたこの池は、木陰が多くて涼しいが、蝉の声がこもって2倍うるさい。

池の周りの遊歩道をぐるっと歩いてみると、看板に月不見の池の由来が書いてあった。

大きな岩と樹木に囲まれて、池に映る月をなかなか見られないことから、月不見の池というらしい。

「これじゃ月が池の真上に来ないと映らなそうだね。」と姉がせまい空を見上げて言った。

 「たしかに。切ない名前だね。」

おばあちゃんはこの池に何の思い出があるのだろう。
池をのぞき込み、昔は水綺麗だったのかな、と思った。

 

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翌日、私たちは手がかりを探すために、おばあちゃんの友達を訪ねてみることにした。
 

最初に行ったのはおばあちゃんの家から徒歩2分のところに住む、清水マツ江さんだ。

小学生の頃、おばあちゃんに連れてきてもらい、マツ江さん家のネコとよく遊ばせてもらった。
おじいちゃんの畑で取れたトマトを渡し、金崎の孫ですと言うと「あら~、見違えちゃった。」とおちゃめに中に通してくれた。
田舎は名字と孫を名乗れば大体通じるのだ。

 

早速、昔のおばあちゃんを知りたい、ということにして話を聞かせてもらった。大事なことを忘れて困ってると言うのは秘密にしておいた。

マツ江さんとは近所だったので、私たちの母はマツ江さんの子供とよく遊んだらしい。母はひとりっ子だったので兄弟みたいに仲良くしてもらったそうだ。母も元気です、と伝えるとマツ江さんは優しく笑った。

帰り際におばあちゃんと仲の良かったフミ子さんとヨシさんを教えてもらった。2人ともまだこの地域に住んでいるそうだ。

 

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その足で、教えてもらったフミ子さんの家に向かった。おばあちゃんの家から車で10分ほど坂を下ったところにある。

フミ子さんは一人暮らしだったが活発な人で、テキパキとお茶を出してくれた。おじいちゃんのトマトを渡すと「金崎さん、畑頑張ってるんだね。」と嬉しそうだった。

 

フミ子さんとは、3年前まで一緒にお茶したり買い物に出かけたりと、仲が良かったそうだ。おじいちゃんが腰を痛めて免許返上してからは病院で会うぐらいになった、と笑いながら話してくれた。

昔のアルバムまで出してくれたが、「大事なこと」に繋がりそうなことはなかった。


お礼を言って車に乗ろうとした時、
「月不見の池に寄っていったらどう?」
とフミ子さんが言った。
月不見の池はここから歩いていける距離だ。

フミ子さんとおばあちゃんは、学校帰りに毎日のように池に行っていたらしい。夕方の空を見つめて、一番星やたまに見える月を観察したそうだ。池の遊歩道から少し森に入ったところに岩穴があって、そこが遊び場だったと教えてもらった。

 

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私たちはまた月不見の池に来た。
空を見上げて、確かに閉鎖的なこの場所が居心地いいのはわかるかも、と思った。
そういえば、おばあちゃんは月とか星に詳しい。街灯の少ない田舎では輝く星空が見える。小学生の時、おばあちゃんの家に泊まりに行くと、夜は必ず外に出て星座を教えてもらうのが楽しみだった。

 

「ねー、岩穴ってあれじゃない?」

振り向くと姉は森の奥を指さしていた。木々の間を抜ける小道の先に岩穴らしきものを見つけた。小さな子供なら入れる岩穴は、大人なら腰を掛けるのにちょうどいい。中を覗いてみると、岩穴の内側に文字が書いてあるのに気づいた。

 「なんか書いてある。チエ子…かな」
「チエ子?おばあちゃんの友達かな?」
「んー、わからん。」


石で何度も削られたような白い文字は、チエ子。チエ子、誰だろう。

「お姉ちゃん心当たりないの?郵便局員でしょ。」
「んー、この辺りは管轄外だからね、全然わからない。」

 

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チエ子、が一体誰なのか、おばあちゃんに聞いてみることにした。

おばあちゃんの家へ行くと、昨日と全く同じ位置に座っていた。
「チエ子って誰だかわかる?」


おばあちゃんはゆっくり首をひねって「チエ子…、誰だろうね。」と黙ってしまった。

チエ子・・・そうだ!と簡単には思い出さないだろう。あまり考え込んで疲れると良くないのでそれ以上は聞かなかった。


おばあちゃんはまた首をひねって窓の外を見た。

私たちも同じ方を見ると、夏の空に白い月が出ていた。


その後、マツ江さんとフミ子さんにもチエ子に心当たりがないか聞いてみたが、小学校、中学校の友人にもチエ子はいなかった。ということはおばあちゃんが卒業してから出会った人だろうか。というか、そもそもチエ子とおばあちゃんに何にも関係がなかったら・・・、と考えた。

事件を追う刑事ってこんな感じなのかなと思った。
それにしても大事なことってなんなんだろう。

 

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そのまた翌日はおばあちゃんの病院の日だった。

おばあちゃんとおじいちゃんを車に乗せて、母、姉、私で病院へ向かった。こんなに大勢で行くものではないと思うが、なんか記念にはなる。


おばあちゃんの診察には母が付き添った。おじいちゃんと姉と私はロビーの椅子に並んで座り、病院の水槽を眺めていた。隣の椅子には赤ちゃんを抱いたお母さんがいて、それをみんなが微笑ましく見ていた。


「お母さんはこの病院で生まれたの?」と姉がおじいちゃんに聞いた。

「いやぁ、家に産婆さんが来て産んだんだよ。生まれるときは、ちょうどじいちゃんは海に出ていたから、生まれてすぐの赤ちゃんを抱っこ出来んかったな。」
おじいちゃんが船乗りをしていたのは知っていたが、出産に立ち会ってないとは知らなかった。なんだか時代を感じる。おじいちゃんは懐かしそうに母の話をした。急いで家に帰って初めて抱きかかえた時、可愛かったなぁと言っていた。

 

「海に出る前、ばあちゃんと生まれてくる赤ちゃんの名前を決めたんだよ。帰ってくるまで名前がないと困るだろ?」

「へぇ、じゃあもう決まってたんだ。」
母の名前は珍しいけど素敵な名前だ。

「いや、それが帰ってきたら名前が違っていてな、びっくりしたもんだよ。たくさんの恵みを受けるって書いて、千恵子って決めたはずだったんに。」

 

 水槽を見ながらぼーっと聞いていた私は「チエ子!?」と言ってしまった。

千恵子、おじいちゃんとおばあちゃんが赤ちゃんにつけるはずだった名前。

お母さんは、千恵子になるはずだったのか。しかし別の名前がつけられた。

 

「ばあちゃんが、赤ちゃん見たら千恵子がしっくりこなくて変えたって言ってな、まぁいい名前だからよかったがね。」

チエ子と岩に彫ったのはおそらくおばあちゃんなのだろう。1人で出産を控えて、なじみの池で心を落ち着かせたのだろう。そして千恵子を待ち遠しく思って、何回も何回も名前を石でなぞったのだろう。

母を想うおばあちゃんの気持ちが温かかった。 

 

赤ちゃんの名前を変えたのが「大事なこと」なのだろうか。
既におじいちゃんは知っているし、大した秘密でもない気がする。

何かもっと大事なことがあるのかもしれない。

 

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次の日、仲の良かったというもう1人の友達、ヨシさんに会いに行った。ヨシさんはおばあちゃんの家から車で10分坂を登った温泉の近くに住んでいた。優しい雰囲気のヨシさんにもトマトを渡し、金崎の孫だと伝えると、ぱっと顔を明るくして話を聞かせてくれた。


ヨシさんの長男のキヨマサさんがきゅうりと味噌を出してくれた。ヨシさんの畑で取れたそうだ。
ヨシさんとおばあちゃんは昔から温泉仲間だったそうだ。おばあちゃんが妊娠すると温泉ではなく家に行ってお茶をしたという。何か知っているかもしれないと、ヨシさんに千恵子の話をした。するとヨシさんは思い出したように言った。


「そうねぇ、お茶してる時も、シエちゃんは千恵子、千恵子とお腹に呼びかけていたんにね。産まれたって聞いて会いに行ったら、名前が違うんでびっくりしたね。」
おじいちゃんがいなくて大変だろうと、子育て経験のあるヨシさんが産後しばらく身の回りのことを手伝ってくれたそうだ。

 

ヨシさんは、おばあちゃんは産後に気持ちが落ち込んで心配だったと言った。

「赤ちゃんが生まれて3か月ぐらいの頃かね、シエちゃんがいきなり散歩に行くって家を出て行ってね。そいで、帰ってきたと思ったら玄関で大泣きしてて、驚いたことがあったねぇ。」
ヨシさんは、なんだったんだろうねぇ、と少し考え込んだが、

「トマトのお礼に野菜持って行きない。ほら、キヨ選んであげて。」と奥の部屋にいるキヨマサさんに声をかけた。

トウモロコシがいいかな、とキヨマサさんがはりきって畑に案内してくれた。

 

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広い畑をキヨマサさんについて周り、トウモロコシ4本と大きなナスを持たせてくれた。きゅうりも持っていって、ときゅうりに手をかけた時、
「実はさっきの話、僕、シエさんにこっそりついて行ったんだ。」と言った。

え?と固まっていると、さっきは言いにくくて、ときゅうりを3本渡してきた。

 

「おばあちゃんはどこに行ってたんですか?」
抱えたトウモロコシの上にきゅうりを載せながら姉が聞いた。

 

「お墓だったんだよ。お墓参り。川の向こうのお寺のね。」
キヨマサさんは首にかけたタオルで額を拭いた。

 

「誰のお墓なんでしょうか?」

「誰かはわからないけど、場所はなんとなく覚えてるよ。気になるなら行ってみる?」

 

キヨマサさんはヨシさんに2人に田んぼも見せてくるよ、と嘘をついて私たちを車に乗せた。初対面の人とお墓参りはたしかに不自然すぎるな、と思った。
お寺には帰省客がポツポツといた。帰省客と同じように桶に水を汲みひしゃくを持って、小さなお墓の前に来た。

「確かここだったよ。」

 

お墓には岡本家と書いてあった。
岡本?おばあちゃんの知り合いだろうか?

 

「シエさんはここで泣いてたんだよ。トミエさんありがとうって。たぶんトミエさんだったと思うんだけどな。」
子供ながらに見てはいけないものを見たと思って、誰にも言えなかったらしい。

 姉がひしゃくでお墓に水をかけた。私は姉からひしゃくを受けとり、同じように上から水をかけた後、いっぱい供えられた花にも水をかけた。

 

岡本トミエ。

おばあちゃんは亡くなった岡本トミエに泣くほど感謝をしていた。さっぱりわからないけど、岡本トミエを探すしかない。お寺の電話ボックスの中にあったタウンワークによると岡本はこの地域に1軒だけ。電話番号と住所を携帯にメモした。

今から直接会いに行く。

 

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キヨマサさんと別れて、そのまま岡本家を尋ねた。

「ごめんください。」
埃っぽい玄関で恐る恐る挨拶をすると、杖をついたおじいさんが驚いた顔でゆっくりと出てきた。


「突然すみません、岡本トミエさんのお宅でしょうか?」

姉の声は宙に浮かんだまま。おじいさんはゆっくりこちらへ近づいてくる。


「突然すみません!岡本トミエさんのお宅でしょうか?!」
さっきより大きな声で聞く。
「えぇ、そうですが、トミエはもう亡くなっています。」

 

「私たちのおばあちゃんがトミエさんにお世話になったそうで、少し話を聞きたいのですが。」姉の大きな声で静かな部屋にほこりが舞ったように見えた。


「あぁ、どうぞ。」


おじいさんは小さな声でうなづき、中へ通してくれた。お茶を出してくれようとしたが、足が悪そうなので断った。トマトを渡すと、袋の中を覗いて「ありがとね。」と言った。詐欺と思われなくてよかった。

 

おじいさんはトミエさんが亡くなってから50年間1人で暮らしている。近くにおじいさんの兄弟とその息子家族がいて世話をしてくれるので助かっていると言っていた。ほこりっぽいが整理された部屋。88歳の祝いの写真と色紙が戸棚飾られていて、親切な家族なんだなと思った。


「それにしても、ここにトミエの知り合いが居たとは、驚きましたな。」
「私たちのおばあちゃんがトミエさんに恩があるようで。」
どうやらトミエさんはお嫁に来てすぐ亡くなってしまったそうだ。しかし戦争で足が不自由になったおじいさんは働くことが難しく、後妻をとることなく暮らしてきた。

 

いきなり家に押しかけてものすごく失礼だとは思ったが、トミエさんが亡くなったときの話を聞かせてもらった。

「トミエはね、赤ん坊を身ごもったんだが、流してしまってね。お産のために故郷に帰っとったんだが、相当ショックだったんだろうなぁ。ここに戻ってからだんだん元気がなくなって。そのままね。」

 

おじいさんは、もし子供がいてもトミエがいなけりゃ満足に世話もできなかったなぁ、と言った。最後におばあちゃんの名前「金崎シエ」を知っているかと聞いてみたが、知らないと言われた。

 

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帰りの車の中、沈黙を破ったのは姉だった。

 

 「どう思う?」
少し考えてから私は答えた。

「辻褄が合っちゃうよね。」

 

「うん。トミエさんとおばあちゃんがあの池で会っていたら。」

「トミエさんが子供を預けた理由も、おばあちゃんが名前を変えた理由も、わかるよね。」

「うん。」

 

おばあちゃんは赤ちゃんを妊娠したが、おじいちゃんが海に出てしまうので「千恵子」という名前を先に決めていた。
しかし、おばあちゃんが流産してしまい、心を落ち着かせるために月不見の池に行ったとしたら。

 

トミエさんは赤ちゃんを産んだ。しかし同時に自分が長くない病気だと知ったのではないか。
トミエさんは赤ちゃんを抱いてこの街に帰ってきたが、間も無く死ぬ自分と足が不自由な夫の元で育てる自信がなかった。トミエさんも同じく、悩んだ心のまま家に帰れずに月不見の池に来たとしたら。
 

おばあちゃんとトミエさんはあの池で出会ったのかもしれない。

そしてお互いの心の内を話しただろう。

閉ざされた暗い池に、明るい月が映えるように。

 

トミエさんはおばあちゃんに赤ちゃんをたくした。

月不見の池で、赤ちゃんは月の子供と書いて「月子」と名付けられた。

 

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「本当にそうなのかな。お母さんは知ってるのかな。」

 「どうなんだろ。わからないけど。そうだとしたら、おばあちゃんとおじいちゃんとは血が繋がってないってことだよね。」

 

 「そうなるよね。わからないけど。」

「そうだよね、おばあちゃんが赤ちゃんを抱えて散歩しててさ、ただ、会って話して仲良くなっただけかもしれないし。」

 


後日、おばあちゃんに岡本トミエさんって知ってる?と聞いてみた。

おばあちゃんはゆっくり顔をあげた。

「あぁ、トミエさんねぇ。」と窓から空を見上げてぽつり、

「あの日は正中だったんだよね。」
と言った。 

 

 

大事なことを思い出せたのかわからないけど、これ以上追求するのはやめた。

これが思い出したいことじゃなかったのなら、おばあちゃんごめん。

 
 

 

正中、月が空の真上に来ること。


おそらくその日は池に月が映っていたのだろう。