やめたい癖

この前、スシローに行った。

そこのスシローは回転寿司ではなくて、タッチパネルで頼んだ寿司がスーーっと席までやってくる「スライド寿司」だった。

 

回転寿司は見た目の楽しさも華やかさもあるけど、やっぱり廃棄が問題なんだろう。

その点スライド寿司なら、頼まれたやつだけ作って届ければいいんだからフードロスがなくていい。

 

そう思ったらこの世の回転寿司はどんどんスライド寿司になっていくんじゃないかと思った。

でも「スライド寿司」よりも「回転寿司」のほうが馴染み深いから、実態はスライド寿司だとしてもみんなはそこを回転寿司と呼ぶだろう。

実態は変わっても名前は親しみあるままで呼ばれ続けるんだ。

そういうことって、他にもたくさんあると思う。

 

寿司を食べながら「他にもたくさんあると思うんだよね。」と友達と話していたけど、10分考えても全く思い浮かばなかった。

 

ぼんやり悩み続けて30分後くらいに、ふと「写メじゃない?」と友達が言った。

そうだ、写真をメールで送るのが写メール、写メと呼ばれていたのに、若かりし私たちは写真自体を写メと呼んでいて「写メ撮ろー」とか言ってた。

 

そうだ、それじゃん!と嬉しくなったけど、よくよく考えてみると、寿司のパターンは実態が変わったのに名前を引き継いでいて、写メのパターンは名前が一人歩きして広義になってそう呼ばれるようになったって感じだ。

 

「他にもたくさんあると思う」の、たくさんは一体なんだったんだ。

 

 

 

先日、ヒーリングミュージックを聴きながら寝てみようと思った。

岩盤浴で流れてるみたいな水がチョロチョロした音とか鳥のさえずりとか、キラキラシャラシャラした音を聞くと心がリラックスできていいらしい。

実際岩盤浴で聞くヒーリングミュージックはいい。

 

Amazonミュージックで、ランダムに永遠とヒーリングミュージックが聴ける、ヒーリングステーションを再生して布団に入り、目を閉じていた。

 

ヒーリングミュージックは心地いい。

リラックスできる。

 

でも、このまま本当に寝てしまったらこのヒーリングミュージックは流れっぱなしになるのかな、と考え始める。

 

だとしたら、本当に寝そうになったらヒーリングミュージック止めなきゃいけない。

てことは、ヒーリングミュージックを止める1%くらいの気力を残しておかなければならないし、完全に寝に入ってはいけない、と思うのだ。

 

気持ちよく、何にも囚われずに自由に寝るためにヒーリングミュージックを聞いてるはずなのに、心のどこかで完全に寝ないように調整している。

上辺でしかリラックスできていないのだ。

 

例えば「私が完全に寝たらこのヒーリングミュージック止めてくれる?」と頼める人がいればいいけど、いないし。

 

寝るために聞いているのに、実は完全に寝ないようにしている。

そういう状態って他にもたくさんあるなと思った。

 

 

 

また出た。

この「こういうこと他にもたくさんあるよね。」ってやつ。

ないよ。ない。考えたって思いつかない。

なんだその自信。なんの根拠なんだ。

 

そもそもなんで「こういう事は他にもある。」なんて言うんだろうか。

実際、そのあと例も出てこないし、なんなら他の人に例を出してもらってる。

 

全く思いついてないくせに「こういうこと他にもある。」って、月に一回くらい言ってる。ないのに。

博識気取っちゃってる。

恥ずかしいな、やめよう。

 

あと、「あ、なんか今の現象みたいな四字熟語あるよね。」っていうのもやめよう。

出たことないし。